どうも、奨学金1500万プレイヤー阪大生のPEN(@PENwitmi)です。
昨今のニュースは、高齢者による車の事故と、2000万円報告書問題のことばかりですね。
最近はゴシップ関連とG20でしょうか。
マスコミは他に放送すべきことはないのでしょうかね。
先日も記事を書きましたが、年金問題について、世間は少し本質とずれたところで受け止めているような印象です。
この記事でも、今回の騒動で私が感じていることを徒然なるままに書き殴ります。
老後2000万円問題の本質は何だ
私は、2000万円報告書自体は、これと言って何の問題もなかった文書だと認識しています。
老後に蓄えが必要なのは、年金制度が存続しようが破綻しようが変わらない事実です。
それが、マスコミによる報道をきっかけに、選挙や政権争いの駆け引きの材料として使われてしまっているのが悲しいところ。
せめて野党も「我々ならこういった代案をもって、国民の老後を確保します」とか言ってくれればいいのですが、
「詐欺じゃないか」
「責任を持て」
「今更撤回とはどういうことだ」
と、なんとも建設的でない議論に終始している印象です。
まぁもちろん撤回は本当に意味不明なんですけれども。
ただの試算(計算結果)に撤回もへったくれもない。
国民の反応もちょっとおかしい
本当はこの記事でつらつらと書きたいことがたくさんあったのですが、もうこちらの記事を読んでもらった方が圧倒的に早い。
先に断っておくと、麻生さんの対応がどうこうという点ではなく、国民や野党の行動についてがメインです。
タイトルは少し釣りっぽい。
また、年金が「100年安心」だというのは、一定の経済前提の下での公的年金財政の持続性のことであり、個々の高齢家計に資産の備えが必要ないことを訴える表現ではない。
「100年安心だと言っていたのに、今になって2000万円不足だから貯めておけというのは無責任だ」とか、まして「年金の破綻をまず謝れ」と言うに至っては、ピントの外れた言いがかりに近い。
「2000万円」という数字は印象的だが、報告書は「平均的な姿」を目指せと強制しているわけではないし、まして公的年金が破綻すると言っているわけでもない。公的年金の給付が「マクロ経済・スライド方式」に基づいて今後徐々に削られることは、もともと分かっていた話だ。
野党側の追及の初動は全くピント外れだったのだ。
今回はたまたま報告書でクローズアップされただけで、そもそも老後にお金が必要だというのは自明の話です。
というか、そもそも騒ぎ立てている国民は、ちゃんと報告書そのものを読んだのでしょうか。
普段は「マスゴミ」とか言って批判しているのに、そのマスコミのニュースだけ読んで鵜呑みにしている人も多いのではないかと思います。
そりゃもちろん国が自分の人生の全部の責任を取ってくれれば楽な社会ですが、そもそも本当にそんな高度な要求を国が満たすことを期待していますか?
私は全然期待していません。
我々に必要なのは、政権批判でもただただ不安がることでもなく、行動でしょう。
政治とカネの話から逃げない
日本の一般市民の多くは、政治とカネの話が嫌いなように思います。
私もいまだに少し抵抗を覚えるときがあります。
多分これも「間違えること」を恐れる国民性の弊害だと感じますが。
つまり、「政治についてよく知りもしないのに発言して、何か間違っていたら恥ずかしい」みたいな思考です。
そもそも政治とは自分たちの生活のために存在するわけですし、それについて話すことの何がおかしいのか。
全く同じことがお金についてもいえるような気がしています。
そしてこれらの話題から普段遠ざかっているからこそ、余計にどんどん知らない未知なものになっていく。
今回の騒動の発端はこんなところにあるんじゃないかなと感じます。
元々明らかだったことを、たまたまメディアがクローズアップしたから、皆で大騒ぎ。
一般市民だけならまだしも、野党までこんな調子ですから、なんだか恥ずかしさすら感じてしまいました。
今回、「年金以外に2000万円も必要だなんて聞いてない!」と感じた方は、これを機に、政治とカネの話から逃げない心がけをしてみてはいかがでしょうか。
学ぶ姿勢こそが大切
先日、副代表をしているNPO法人CLACKにて、高校生相手にお金の授業をしてきました。
彼らは学校で学ぶことのないお金についても、今後色んなインプットを重ねてくれると思います。
学ぶ姿勢さえあれば、情報は転がっているのです。
今や日本のマスコミがあてにならないのも、当たり前の時代です。
マスコミがクローズアップしてくれるのを待つのではなく、自分から情報収集しようという気持ちが、未来の豊かさに繋がるんじゃないかと邪推します。