「意識高い系」が揶揄される社会

ライフハックと学び

どうも、奨学金1500万プレイヤー阪大生のPEN(@PENwitmi)です。

 

日本は、政治やカネ、経済なんかの話題についてあまり本気で語り合えない社会だと感じています。

 

いわゆる、「意識高い系」の話。

 

ひょっとすると、マネジメントのようなビジネスの話や、SDGsなんていう社会問題のことも、「意識高い系」の話題なのかもしれません。

そう考えると私のブログは端から端まで「意識高い系」の内容です。

 

意識高い系の話は友達同士で気軽にできないためか、それ専用のコミュニティが形成されて、閉じた社会の中でだけ盛り上がる傾向があるなと思います。

この記事では、「意識高い系」という言葉について、頭によぎったことを徒然なるままに書きます。

 

公立中学で勉強するガリ勉

 

地元の公立中学に通っていた人の多くは、「勉強すること」が揶揄される対象であった経験があるのではないでしょうか。

(私はあります)

 

私立進学校などの存在を考えると分かりますが、日本の偏差値50(平均)というのは、公立学校の上位グループに該当します。

 

つまり、偏差値50以上というのは、公立中学において圧倒的マイノリティです。

勉強を一生懸命して、成績を高く維持しようとする人は、少数派なのです。

 

こうした少数派にあてられる言葉の一つが、「ガリ勉」です。

 

私はこの「ガリ勉」という言葉と「意識高い系」という言葉は同系列だと考えています。

要は、多数派が少数派に対して使う言葉、という系列です。

 

勉強するかしないなら、した方がいいに決まっている。

そんなことは分かっていても、自分は多数派にいるという安心感(つまり周りもしていないから自分もそれで大丈夫だという安心感)を得るために、「ガリ勉」をバカにするわけです。

 

つまり「ガリ勉」という言葉は、自己防衛反応から生まれると考えられます。(なんのデータもない私見です)

 

マイノリティを揶揄したいマジョリティ

 

先ほどの例は、自分はマジョリティに属していたい、という欲の表れの一つだと私は捉えています。

馬鹿にできる側というのは、多くの場合はマジョリティなわけです。

 

マイノリティがマジョリティをバカにするのは、個人の感情レベルで起こっても、表立って出てくることはありません。

せいぜい匿名掲示板やSNS程度の主張でしかありません。

 

「意識高い系」という新たなマイノリティ

 

先ほどの「ガリ勉」たちの多くは、高校などに進学することによって、そのコミュニティ内でのマジョリティに転じます

つまり、勉強してきた人のコミュニティの中では、勉強することが揶揄されることはあり得ないわけです。

 

そのコミュニティでは勉強しない人こそがマイノリティになります。

放課後遅くまで残って勉強についての相談をしようが、テストでいい点数を取ろうが、それは揶揄されるどころか素晴らしいことだとして認識される社会です。

こうして多くの進学校の生徒は、大学生になります。

 

しかし、これらの大学生のうち、経済や社会問題、政治やカネについて関心を深く持つ人は限られてきます。

 

勉強をするという点では共通点があっても、何に関心を抱くかは人それぞれなわけです。

よって必然的に、「意識高い系」というマイノリティが形成されることになります。

 

「科学」は熱く語れても、「意識高い系」の話題は避ける

 

理系大学で宇宙や量子論など「科学」について熱く語るのはマジョリティですが、「政治」について熱く語ってしまうとマイノリティになってしまいます。

 

つまり、「意識高い系」という新たなマイノリティを揶揄する存在が、「ガリ勉」の中から出現します。

 

おそらく、これも自己防衛反応だと思います。

 

「ガリ勉」たちは、マジョリティにいる安心感に安住し、マイノリティに移行することを恐れます。

特に一度マイノリティに所属して揶揄された経験があれば、なおマジョリティにしがみ付きたくなったりします。

 

一度「ガリ勉」と揶揄された経験がある人は、「意識高い系」を揶揄したりはしないまでも、少し距離を置いてしまいます。

 

こうして、せっかくある分野では有識者である大学生たちも、「意識高い系」の話題から遠ざかってしまいます。

これも自己防衛反応としては非常に自然な流れです。

 

「意識高い系」を避け続けていいのか

 

私は「意識高い系」の話題は、もっと公然と話されたほうがいいのではないかと考えています。

それは性教育も一緒。

 

元は、性もカネも政治も家庭教育の一部だったのかもしれませんが、いつしか家庭教育から消失してしまいました。

親世代も教わっていないのですから当然です。

 

もちろん公教育で一部取り扱われていますが、五教科に比べてどれだけ軽視されていることか。

そのため、幼少期から義務教育にかけて、これらの話題について触れることがありません。

 

だからマイノリティの話題になってしまう。

 

その影響でか、大学生という「考えること」が本業のような身分の人たちも、そういったことから無縁になりがちです。

もし大学生が「本当はそういう話題も理解している方がいい」と内心思っているのに、情報が交わされないのであれば、なおさら勿体ない話です。

 

性の話題については、最近SNSなどでも話題になることが多くなった印象です。

「意識高い系」の話題がSNSで盛んに取り上げられるようになるのは、いつのことでしょうか。

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